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-豆知識系コラム-

大正ロマン振袖スタイルのコーディネート解説♪【大正浪漫】

2022.07.08

大正ロマン風振袖

 

今、成人式・卒業式・結婚式などのハレの日を始め、アニメシーンや日常のファッションにおいても「大正ロマン」の装いが人気を博しています。

 

ただ、「大正ロマン」というものは、言葉にすると非常に抽象的で「これをすれば大正ロマンだ!」という定義が出回っているわけではない為、具体的にじゃあ大正ロマンを表現しよう!と思っても難しいのが現状です。

 

 

そこで今回は、今「大正ロマンに興味を持っている」「大正ロマンをファッションに取り入れたいと思っている」という方の為に、

 

どうすれば大正ロマンな装いになるのか

 

そもそも大正ロマンとはいったい何なのか!?

 

 という未だベールに包まれている部分について紐解いていきたいと思います。

 

 

1.大正ロマンとは一体何なの?

 

 映画や小説などで「大正ロマン」という言葉をよく聞くのではないでしょうか。

その言葉1つとっても印象的といえる大正時代ですが、実はごく限られた期間でしかないことを意外に感じる人もいるでしょう。

大正時代とは、1912年から1926年までの約14年と5ヶ月間を指します。

 

大正の前後にある明治と昭和はそれよりも長く、明治は45年、昭和に至っては64年までありました。それらと比べれば大正は短いのですが、「大正ロマン」という言葉があることからもわかる通り、大正という時代に憧憬ともいえる感情を持つ人が多いのも事実です。そうなったのも、大正が明治と昭和の狭間にあることが理由の1つであるともいえるでしょう。

 

 

 

大正ロマンは、その名の通り大正時代の雰囲気を漂わす独特の芸術・文化・思想のことを指します。

 

この時代は外国の西洋の文化が日本で大流行致しました。

 

 

 

外国の西洋の文化が日本で大流行例えば、洋食が広まり「カフェ」「レストラン」が大きく成長したのも大正時代です。

 

また、開国に伴い建設された西洋の建築様式を用いた「洋館」もこの時代の象徴物になっております。

 

和食や和服から洋食や洋服となり、

 

今までの和風文化一色と代わって様々な西洋の文化が取り入れられていった大正時代は、

 

日本の歴史の中でも特別な文化となっております。

 

伝統と近代化の織り交ざった古き良き時代だったとも言えます。

 

 

 大正ロマンの定義としては、「大正時代の雰囲気を伝える独特の文化や芸術」といった表現となります。しかし、大正時代に生み出されたものがすべて大正ロマンを名乗れるというわけではありません。

 

大正ロマン最大の特徴は、日本の伝統文化と西洋の文化が入り混じっているということです。明治時代になり日本へもたらされた西洋の芸術や生活様式が、大正時代になって日本の文化と融合し、日本独特の文化となって結実しました。特に建築や家具、服装などで和と洋2つの特徴を巧みに取り入れています。

 

「ロマン」という言葉を用いていることもあり、大正ロマンに華やかな印象を持つ人も多いでしょう。実際に、女性のパーマヘアが流行したのは大正時代からですし、童謡・唱歌や流行歌が街に流れるようになったのも大正になってからでした。劇団藝術座や後の宝塚歌劇団ができたのも大正時代、『キネマ旬報』の創刊も大正時代です。

 

しかし、戦争や災害などが立て続けに起こったため、大正時代は必ずしも安寧の世の中とはいえませんでした。退廃的で厭世主義の生き方を選ぶ人も生まれています。華やかな文化が花開く一方で社会への不安を感じるという、複雑な感情を抱えたまま昭和のモダニズムへと進んでいったのです。

 

昭和初期に花開いた文化に昭和モダンがあります。和洋折衷の華やかな文化ですが、その特徴は大正ロマンとほぼ同じです。よって、分類によっては時代が続いている大正ロマンと昭和モダンをひと括りにするものもあります。

 

〇ファッションにも大正ロマンの影響

 

大正ロマンを表す言葉に「ハイカラ」があります。これは「high collar」、つまり和服に比べて襟の高い洋服のシャツを表したものです。大正時代以降になり、特に男性はスーツにシャツ、ネクタイに丸眼鏡や山高帽子といった服装を進んで着るようになりました。

 

女性の間でも、動きやすい機能的な装いが流行します。明るい色使いをしたスカートなどの洋服はもちろんのこと、和服も袴やブーツなどと組み合わせて着られるようになりました。ファッションでも和洋折衷が好まれていたのです。

 

 

大正時代には、流行に乗っかる若者を指す「モボ」「モガ」なんて言葉も生まれました。それぞれ「モダンボーイ」「モダンガール」の略です。また、「ハイカラ」に対する言葉で、粗野な様子を表す「バンカラ」という言葉も生み出されました。

 

 

〇大正ロマンの時代に生み出された芸術

 

 

 

大正ロマンの時代には、多くの印象的な芸術作品が生み出されました。どのような作者や作品が生まれたのかを見ていきましょう。

 

 

 

 

大正ロマンを代表する芸術家として真っ先に名前が挙がるのは、竹久夢二ではないでしょうか。彼の活躍した時期がちょうど大正時代とその前後に重なることもその要因です。抒情的なタッチで描かれた彼の美人画は、高畠華宵ら同時期の画家の作品とともに多くの雑誌や楽譜集の表紙を飾りました。

 

夢二の活動は絵だけにとどまらず、詩や童謡なども手掛けています。その童謡の世界では、他にも西條八十・野口雨情といった作詞家や、中山晋平・山田耕筰といった作曲家も大正時代に活躍しました。夢二らが残した芸術作品の数々は、日本におけるモダンアートの先駆けといえます。

 

 

 

〇大正ロマンなファッションとは?

 

大正ロマンをファッション目線で考えると古き良き和装の中にも革新的な西洋の要素をプラスしたお洒落感な装いが「大正ロマン」なコーディネートだと当時の女性は楽しそうに表現していました。

 

大正ロマンなファッションが生み出されていたのは、1912年から1926年までのたった14年間です。

 

他の時代を比べても大変短い期間の中で生まれた「日本の伝統的な和と西洋の文化が入り交じった革新的な文化」だったからこそ、

今、現代においても、その貴重な時代の産物が人の心を惹きつけています。

 

 

その貴重な産物の1つとして、「日本の伝統的な和と西洋の文化が入り交じった代表的なファッション」がアンティーク着物です。

 

その見事な鮮やかな色柄の織りなす美しさに誰しもが目を輝かせます。

 

 

 大正ロマンを代表する着物といえば銘仙ですが、銘仙とは?

 

 銘仙(めいせん)は、平織した絣の絹織物で、鮮やかで大胆な色遣いや柄行きが特徴の、先染め織物です。

 

 

本来は、上物の絹織物には不向きな、屑繭や玉繭(2頭以上の蚕が1つの繭を作ったもの)から引いた太めの絹糸を緯糸に使って密に織ったものを指し、絹ものとしては丈夫で安価でもありました。幕末以降の輸出用生糸増産で大量の規格外繭が生じた関東の養蚕・絹織物地帯(後述)で多くつくられ、銘仙の着物が大正から昭和初期にかけて大流行しました。

 

伊勢崎、秩父に始まり、これに、足利、八王子、桐生を加えた5か所が五大産地とされています。

 

柄は従来の和風のものにとどまらず、アール・デコやキュビスムなど西洋芸術の影響を受けたものも多いです。銘仙の生産や流通は洋装化により衰退してはいるものの、図柄の文化的・美術的価値は高く評価されており、足利市立美術館やイタリアの首都ローマで展示会が開かれたこともあります。

 

 

元々は、主に関東や中部地方の養蚕農家が、売り物にはならない手紬糸を使用して自家用に作っていた紬の一種でした。江戸時代中期頃から存在したが、当時は「太織り(ふとり)」「目千(めせん)」などと呼ばれ、柄は単純な縞模様がほとんどで、色も地味なものでした。

 

明治になって身分制度が改まり、一般庶民に課せられていた衣料素材の制限がなくなると、庶民の絹に対する憧れも相まって、日常着においても絹物が主流となりました。

 

また、女性の社会進出が進んだものの、服装においてはまだ和装が圧倒的に主流であり、社会の洋風化に追いついていなく、このため、女学生や職業婦人などの外出着や生活着として、洋服に見劣りしない、洋風感覚を取り入れた着物である銘仙が広く受け入れられることとなりました。

 

当初は平仮名の「めいせん」でしたが、1897年(明治30年)、東京三越での販売にあたって「各産地で銘々責任をもって撰定した品」ということで「銘撰」の字を当て、その後、「銘々凡俗を超越したもの」との意味で「仙」の字が当てられて「銘仙」となったといいます。

 

大正末期に行われた街頭風俗調査では、和服で歩いていた女性のうち約半数が銘仙を着ていたとの記録もあります。

 

 

 

第二次世界大戦後、まだ着物と洋服とが日常着として並立していた時期には、銘仙はさらにモダンなデザインを取り入れ、1950年代には最盛期を迎えました。

 

その後、ウール着物の登場によって、絣などの日常着物は銘仙からウールに代わり、また、洋装の普及によって和服が特別な機会だけのものとなると、新たに生産される絹物の色柄は銘仙以前の古典的なものに戻っていくこととなります。

 

 

古くは「貧しい者が着るもの」「部屋着」などともみなされていため、現代でも稀にそうした見解を持つ高齢者もいますが、1990年代後半からアンティーク着物のブームが起こり、銘仙はその代名詞ともいえる存在となっています。

 

アール・デコやキュビスムの影響を受けた、現代にも通用するポップでモダンな柄行きや大胆な色遣いが人気を博し、おはしょりを作らず対丈で着たり、洋服やブーツと合わせて自由にコーディネートするなど、「大正ロマン着物」と呼ばれるジャンルを形成しています。

 

 

 

 

2.現代に大正ロマンを簡単に取り入れる方法

 

現代においても、簡単に「大正ロマン」を取り入れる1つの方法として、

 

前述のように「アンティーク着物を着てみる」ことは非常にオススメです。

 

 

しかしアンティーク着物、銘仙などは前述した通り「日常着」であり、成人式などで着る振袖は「晴着」です。

 

振袖で大正ロマンを表現するにはどうすれば良いでしょうか?

 

 

それは「装飾品」です。

 

 

 

 髪飾りを始め、イヤリング、鞄、帽子など

 

「装飾品」でも、大正ロマンな世界観を作り出すことが可能です。

 

 

 

着物自体の雰囲気が古典的だったり、無地であまり動きがないイメージであっても

 

ヘッドドレスにチュールが付いた洋風ミックスなリボンを付けるだけで

 

その装いは和×洋の大正ロマンな世界観に変わります。

 

また、足元を白足袋に草履という定番ではなく、ブーツを合わせたり

レースソックスにパンプスを合わせたりしても素敵です。

 

レース地の足袋に高草履も良いですね。

 

着物の襟元から洋服のシャツをのぞかせたり、ヘアメイクにフィンガーウェーブを取り入れたり。

 

振袖もあまり古典的な柄よりも、銘仙を思わせる大胆な色柄の物を選ぶとより世界観が出せると思います。

 

一着の振袖をコーディネート次第で様々な雰囲気に変化させる事が出来るのが、着物の面白い所です。

 

ぜひ広映堂コスチュームサロンにご相談下さい。スタッフ一同心よりお待ちしております。

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東京都東久留米市にある地域密着型写真館・広映堂スタジオです!このブログではお客様のお写真や新しい衣装や小物などを随時ご紹介しています!

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